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2010年9月の記事

ラス・キア 子守唄墓守虫(ララバイ・シデムシ) 第56回

 堂島さんが僕を助け起こしてキアを怒鳴りつけようとしたが、二宮さんに制された。
 わめき続けるキアを残し、大人たちに引きずられて僕が部屋を出たあと、ドアがひとりでにスライドしてぴたりと閉じた。
 とたんに室内からは、ろうそくを吹き消したように何の音も聞こえなくなった。
 おたおたとあたりを見まわしていた女性医師が間の抜けた声をあげた。
「輸液ラインをつけなおさないと……」
 二宮さんが医師に頭をさげた。
「しばらく、待ったげてください」
「……でも……」
「今は誰にも顔を見られとないんやと思います。ちょっと間、ひとりにしといたげてください」
 僕は堂島さんに半分もたれかかって、魂の抜けたようにドアを見つめていた。
 廊下をばたばたと近づいてくる足音がした。
「聡!」
 振り向くと、旅行鞄をさげた母さんが息をきらしながら駆け寄ってくるところだった。
 母さんは鞄を投げ出すように置いて、いきなり僕を抱きすくめた。
「ごめんね。遅うなってごめん」
 青磁色の真新しいスーツに僕の上着がこすれて血と泥の汚れがうつってしまうのもかまわずに。
「母さ……」
 そんなに大きな声をださないで。病室の中まで聞こえてしまうよ。そう言おうとしたのに、ことばがうまく出てこなかった。
 母さんの胸に頭を押しつけられていると、身体中の力がぬけて、とろとろに溶けてしまいそうだった。
 僕は幼い子供のように縮こまって、声をたてずに涙を流し続けた。


2003/10/06 Mon.

 僕が家に連れ戻されて泥のように眠りこけているあいだに、宇多野先生逮捕の知らせが校区中に広まっていた。通用門のすぐそばに住んでいる生徒の家が火の元らしかった。
 学校は保護者連絡会の延期を連絡網で伝えてきたが、一部の保護者が当初予定の時間通りに押しかけ、教職員らと押し問答になった。
 そんな話は後になって御影から聞いた。
 
 月曜日の朝、母さんは休めと言ってくれたけど、僕は鉛のように重い身体をひきずって登校した。
 校長教頭は姿を見せず、教師たちはすっかり浮き足だっていて生徒はほったらかし。授業どころかHRも全校集会も始まらなかった。
 十時過ぎになってようやく臨時休校の決定がおり、僕らはせきたてられるように帰された。
 家に鞄を置いて着替えてから、日曜日の朝まで過ごした病院にひとりで出かけた。
 キアは既に別の病院に移されたあとだった。受付も救急病棟のナースステーションも、転院先を教えてはくれなかった。
 待合室の電話帳で中央児童相談所の所在地を調べ、バスを乗り継いで移動した。幹線道路から少し離れた住宅地のはずれ、市営公園と養護学校のあいだに児相の建物があった。傾斜のきつい屋根と淡いクリーム色の外壁が幼稚園みたいに見えた。玄関のすぐ上に設置されたアナログ時計は正午少し過ぎを指していた。
「二宮さんはおられますか?」
「通所の方ですか?予約は取ってはりますか」
 窓口の男の人の応対は淡々としていた。
「ここへ来たのは初めてです」
「二宮は昼休憩に出ているようですね。午後からは予定が混んでいるので、お会いする時間は……」
「烏丸くん?」
 後ろから呼ばれて振り向いた。コンビニ弁当の袋を提げた二宮さんが立っていた。
 手招きされて、南隣の公園まで一緒に歩いた。
 木製のベンチに散り落ちたケヤキの葉を払い、ふたり並んで腰を降ろした。
「お昼休みなのに、おじゃましましたね」
 二宮さんは首を傾けて微笑んだ。
「礼儀正しい中学生やね。いまどき珍しいくらい」
「一応はお礼を言っときます。滋を引き止めてくれて、ありがとうございました」
「てっきり恨まれてると思ってたわ」
「ああでも言わなきゃ、あいつは病院を逃げ出してた。そのまま行き倒れるか、江坂の手下につかまるか。どのみち僕の手には負えないことになってましたから」
「あなたには何の責任もないよ」
 さらりと言われて頬が熱くなった。口ごたえしたくなるのを我慢して話をすすめた。
「ここからが用件です。僕の質問に答えてもらえますか」
「葺合くんに会えるかと訊かれたら、だめとしか言われへんよ」
「わかってますよ。僕はあいつの保護者じゃない。あいつを叩きのめした父親でもなければ、連絡を受けながら黙り通した母親でもない」
「……きついわね」
「あいつは、母親と義理の父親のところへは絶対に帰りませんよ」
「親権者はお母さんひとりやから、普通はいやでも送り返すんやけどね」
「そうもいかない事情があるんでしょう」
「そこまで知っているなら、何を聞きたいの?」
「一般論でいいんです。家族の誰とも一緒に暮らせない子供は、どこへ行くんですか?」
「たいていは福祉施設やね」
「そのときは転校することになるんですね」
「行く先にもよるけど。もと住んでいた家から、しばらく離れていたほうがいいこともあるしね」
「入所先は同級生に教えてくれますか?」
「いいえ」
「転校の理由が本人の素行の問題や違法行為じゃないってことは知らせてくれるんですか」
「非行やろうと虐待やろうと、第三者には知らせません。本人のプライバシーやから」
 僕はそこまで聞いてしばらく口をつぐみ、スズメたちが花を落としたサルスベリの枝を飛び移るのを眺めていた。
「……手紙を書きます」
「…え?」
「滋あてに手紙を書きます。預かってください」
「そんなもの、ことづけられても渡す義務はないし、返事を期待されても……」
「返事なんかいらない。渡す気がないなら、すぐに捨ててもらってもかまわない。中身を読みたいなら好きにしてください」
 二宮さんは本気かというように僕の顔を見た。
 この人の目に僕はどんなふうに写っているのだろうか。駄々をこねる幼児。ひとりよがりの世間知らず。どう思われようと、一度やると決めたことを撤回する気はなかった。
「お役所の決めることに、まちがいはないでしょうからね」
 二宮さんは衝かれたように大きく目を見開き、それから不思議な笑顔を浮かべた。
「堂島さんの言うてたとおりね」
「何ですか?」
「あなたのこと。折り目正しい過激派やて」
 拒否とも承諾とも、はっきりした返事をもらえぬままに二宮さんと別れ、帰りは歩いて駅前に出た。文具店で萌葱色のレターセットと大判の茶封筒の束を買いこんだ。


第九章 ミノムシ

2003/10/13 Mon.

「葺合滋さま
 手紙の宛先がわからないので、二宮さんに託すことにします。もしちゃんと届いて読んでもらえているなら、僕のかわりにお礼を言っといてくれますか。
 宇多野先生が横領の疑いで再逮捕されました。学校の備品や図書をこっそり持ち出して売り払っていたらしいです。金額はせこいけど、回数が半端じゃなかったとか。新聞にも載ったから知ってるのかな。
 出戸が逮捕されたこともニュースになっていたけど、多聞さんにぼこぼこにされて警察に逃げ込んだことまでは報道されていなかったと思います。
 傷害罪でつかまった多聞さんが、今まで出戸に指示されてきた悪事を九割方(つまり、江坂がからんでいること以外は)ばらしちゃったんで、そのまま拘置所行きになったんだけどね。娑婆には他にも都合の悪いことがいろいろあるみたいで、保釈もされたくないようです。
 江坂と千林は鑑別所にいるらしいです。
 校長先生は入院中です。悪性腫瘍の精査目的ということになっています。
 教頭先生が職員室で首をつろうとしました。未遂で終わったのでこれも新聞には載らないと思います。
 玉出先生はまだ入院中だし、保健室の先生もまだ赴任していません。

らす・きあ蛇足話 その60 もうちょっと続きますよ

やられっぱなしで引き下がる連中じゃない、聡のしぶとさが発揮されるのはこれからです。
かといって、おとぎ話のような奇跡の大逆転もありません。
10月中にぎりぎり終わるかどうか、という感じですが、これからひき延ばしても意味がないから、がんばってシェイプアップしていきますね。

ラス・キア 子守唄墓守虫(ララバイ・シデムシ) 第55回

 口をふさがれたまま返事したので、もごもごとよくわからない音になってしまった。キアはわかったよ、というように手を離して僕の胸を軽くたたいた。
「ラス。今、何時や」
「え……八時前頃かな」
「ふん。思ったより長いこと寝とってんな。ぐずぐずできん」
 キアはがばっと身を起こした。何本かのコードがずるずるとくっついてきたのをうるさそうにつかんでひっぱった。ほっそりした首筋から電極シールがべりべりと音をたててはがれた。
「トンコするで。出口教えろ」
 コードにつながっていたリモコンのような小箱がピーピー鳴り出した。僕は機械に飛びついて電源スイッチをオフにした。
 キアは腰から下に掛けられていた薄い布団を蹴とばした。寝間着の裾に手をつっこんで半透明のチューブを引き抜き、軽く身震いしながら悪態をついた。
 僕は機械を手にしたまま、金魚のように口をぱくぱくさせて棒立ちになっていた。
 キアはさらに右腕を持ち上げ、点滴チューブを固定した絆創膏に噛みついて、ぐいと首をねじった。留置針が絆創膏ごとはずれてチューブが垂れさがり、床に薬液がこぼれ落ちた。やっと自由になった身体でベッドから降りようとして、キアはふらっとよろめいた。
 その腕をつたう血を見て、僕は我にかえった。機械を放り出してキアの手を引き寄せ、針の抜けた穴に自分の袖口を押しあてた。
「無茶するなよぉ。七時間前には死にかけてたんだぞ」
 キアは唇を噛んで青ざめた顔をあげ、僕を押しのけて床に立とうとした。
「ぼけっとしとったら、いらん連中が来てまうやろが。早うせなごたごたにまきこまれる……」
 病室の外から足音と甲高い声が聞こえた。
「バイタルの確認が先です。まだ話ができる状態かどうか……」
 キアはぱっと布団をつかみ、頭からすっぽりとかぶってベッドに寝転がった。
 手を離された勢いで僕は床に尻をつき、そのままベッドの下にあたふたともぐりこんだ。プラスチックの衣装ケースの陰に隠れて、そっと外をのぞいた。
 開いたドアの下端と、病室に入ってくる数人分の足が見えた。
 先頭の白いサンダルが小走りに近寄ってきて、かちかちと機械をさわる音をたてた。焦げ茶色のパンプスが追いついて、ごそごそと枕元を探った。
「先っちょがはずれてますよ、先生」
「それでアラームが……さっき見たときはちゃんと固定してたのに……」
「あなたがはずしたんやね」
 昨日も聞いた声。いや、もう一昨日か。なんだか何年も昔のことのようだ。今度は布団の上から軽くたたく気配。
「はじめまして、葺合滋くん。学校ではどうしても会うてくれへんかったね」
 キアは息を殺してじっとしていた。声の主も、無理に布団をはがそうとはしなかった。
「目は覚めてるんでしょう。県中央児童相談所の二宮です。具合が悪くなければ、お話ししてもいいかしらね」
「あんたの声聞いたとたん死にそうに気分悪うなったわ」
 布団をかぶったまま、吐き捨てるようにキアが応えた。
「だいぶ元気になったみたいやね。神部や逢坂の児相からは、あっという間に逃げてしもたて聞いてるけど。今回はもうしばらくおとなしくしておいて欲しいんよ。あんまり無理して左腕がうまく動かせなくなってもいやでしょう」
「おおきなお世話や」
 二宮と名のった女の人はキアの不機嫌な声にも臆さず、静かに話し続けた。
「今回の事件では、あなたは被害者なの。私たちはあなたを守る立場にいて、今まであったことと、これからのことを相談したいの」
「俺は親父んとこに帰る。あんたらに用は無い」
「お父さんは今、児相にいてはります」
 ベッドがきしんで、僕の目の前に布団がずり落ちてきた。
「お前ら、親父に何を言うた!」
「あなたの負傷と入院について連絡させてもろただけです。お父さんのほうから駆けつけてくれはりました。手首と胸の傷は自分がしたことやと話してもらいました。洗面台の排水管に縛りつけて気絶するまで木刀で殴打したあと一昼夜放置したと……」
「それがどうした!家から出すなて親父に言うたんはクソ刑事やろが。仕事にもどらなあかんのに俺が逆らって逃げようとしたから……」
「暴行を受けたのは今回が初めてやないよね。学校の先生から通告を受けたときには確かめられへんかったけど」
「俺が面倒ごとばっかり起こしとったから……ぼけ担任が会社にまでしつこう電話してくるから、えらい迷惑やってんぞ。おかげで親父は外回りの仕事にばっかり行かされて、給料も減らされて……」
「初めから面倒みる自信なんてなかった。母親のところにさっさと帰らそうと思うてわざと邪険にしてたのに、いっこうにあきらめる気配がない。意地のはり合いから引っ込みがつかなくなって、度を越してしまった。今思えば人として許されることやない。お父さんはそう言うて……」
「黙れ!」
 ぎしっと大きくベッドが揺れた。僕は隠れ場所から這い出してベッドに飛び乗り、拳を振り上げたキアを背後から抱きすくめた。
 童顔の女性医師。児相職員の男の人と堂島刑事。大人たちがあきれたように僕を見つめた。えび茶色のスーツの二宮さんだけは、キアから目をそらさなかった。僕は学校で出会ったキアの父親を思い出し、父親の話をするときのキアの顔を思い出し、県住のドアから漂い出た夕飯のにおいを思い出した。
「春ごろには仲良く暮らしてたんです。僕が面倒ごとに巻き込むまでは。滋は……お父さんと一緒にいたくて一所懸命……お父さんだって……」
「理由はともかく、結果は虐待です。私たちには刑事告発の義務があるから……」
「親父を逮捕なんかしてみろ!お前ら全員げろ吐くまでのしたるからな!」
 二宮さんは首をかしげて堂島刑事を振り向いた。
「容疑者が自白しても目撃者はなし、証拠はあとから確認した状況だけで、被害者は容疑者を弁護。これで起訴できますか」
 堂島さんは渋い顔で応えた。
「学校からの通告も、暴行の目撃者からではのうて、また聞きした養護教諭からでしたな」
 二宮さんは向きなおってまっすぐキアの目を見つめた。
「私たちの仕事は、あなたの命とちゃんとした生活を守ることです。それがかなうなら、何が何でもお父さんを犯罪者に仕立てる必要はない」
 キアは今にも噛みつきそうに二宮さんをにらみ返した。僕はコルセットの上からキアの身体に腕をまわしていた。これ以上動かれたら傷をさらに痛めてしまいそうで、気が気ではなかった。
「お父さんとあなたが今後一緒には暮らさない、二人だけでは出会わない、それだけ守ってもらえるのなら……」
「俺は逢坂には戻らへんで!」
「あなたの親権者はお母さんひとりやからね。お母さんの気持ちは……」
「オカンにまで何か言うたんかよ!」
「動かないで……お願いだよ。傷がちゃんと治らなかったら……」
「電話に出てくれはったんは、お母さんのご主人でした。あなた、弟くんが溺れたときのこと、ちゃんと説明する前に逢坂児相から飛び出してもたでしょう。さっさと戻ってきて正直に話をしろ。それが津守さんの意向でした」
 布団をつかんだキアの右手が震えていた。
「勝手なことばっかりしくさって……」
「こんなにあわてて事情を説明したのは、あなたにおとなしく入院していて欲しいからよ。ここで逃げ出したら、私たちも警察もあなたを捜さなければならなくなる。あなたがお父さんに会ったりしたら、よけいにお父さんの立場を悪くすることに……」
「もうええ!黙れ!この部屋から出て行け!」
 キアがモニターの機械をつかんで床に叩きつけた。二宮さんに向かって枕を投げつけ、布団を蹴り落とし、薬液のスタンドを押し倒して最後に僕を突き飛ばした。
「お前もや。出てけ!出て行けぇ!」

風邪ひきました

 長いこと勤め人をしていると、体調不良でも平日には緊張を保ち続け、休みになったとたんにダウンする、というスキルを身につけることができます。
 とくに今年は夏休みが二日しかとれなかった上に土曜出勤が続き、念願の三連休にはいって一挙に利息を支払わされた感じです。
 悪寒、鼻水、鼻づまりから始まって頭痛咽頭痛耳管閉塞。
 発熱こそしなかったものの、頭ふらふらで寝たきり生活になってしまいました。
 聡と滋をいじめ過ぎたバチがあたったかも。
 三日休んで、火曜日にはきっと出勤できる体調にもどっていることでしょう。
 勤め人の健康管理なんてこんなもんです。

らす・きあ蛇足話 その59 人生と生活

 どんなに平穏無事な生活を送っている人にも、人生の節目は何度か訪れます。
 誕生、転居、事故、病気、結婚、出産、死別、離別、そして死。
 傍目には波乱万丈と見える人生を送っている人も、実際には単調な生活をくりかえす日々のほうが多いものでしょう。
 朝起きてご飯食べて働いて帰って寝ることの反復にほとんどの時間をとられているはずです。

 さて、世の中には他の人の人生に深くかかわる職業の人たちがいます。
 式場や病院や警察や斎場などで、節目のセレモニーや突然の不幸、新しい門出に立ち会う仕事につく人たちにとっては、お客さんや利用者さんの人生が自分の日々の生活の糧だったりするわけです。
 日々の生活であるからには淡々と粛々とこなしていくことが当然なのですが、あまりにも普段着の生活感を漂わせていてはやっぱりちょっとまずい。かといって、当事者さんと同調して舞い上がったり落ち込んだりしていては仕事になりません。
 このあたりのバランス感覚がとても大事なんだろうな、と思います。
 ドラマや小説に登場する専門職さんたちはちょっとテンション高すぎですよね。ドラマチックに場をもりあげるためのフィクションだからそれでいいのかな。

ラス・キア 子守唄墓守虫(ララバイ・シデムシ) 第54回

 いつも冷静な父さんが、さすがにむっとした声になった。
「ずっと捜していたんだぞ。家を離れていたせいで、かえって連絡をもらうのが遅くなってしまったが」
 ひとり立ちあがって僕に手をさしのべた。
「来なさい」
 これがいつもの父さん流だ。腕づくや怒鳴り声で子供を従わせようとはしない。わかっているだろうと言わんばかりに待っているだけ。
 胃がむかむかして猛烈な怒りがこみあげてきた。
「今さら何だよ!前は助けになんか来てくれなかったじゃないか!ずっと呼んでたのに!」
 大声をあげてしまってからぎょっとした。いったい僕は何の話をしているんだ?
「……前は?……」
 父さんの顔が青ざめた。ちっともらしくなかった。いつも通りの態度に腹をたてたばかりなのに、今度は急に落ち着かなくなってしまった。
 ふたりのあいだに気まずい沈黙がおりた。
 処置室のドアがゆっくりと開くのを、若い男の人が待ちかねたように身体を横にしてすりぬけてきた。パジャマのような青いシャツとズボンの上に白衣をはおり、度の強い眼鏡と紙製のマスクをつけている。キアについて行った医師のひとりだ。
「あなたは?」
 医師はマスクをずり下げて父さんに話しかけた。
「父親です」
 状況が読めないまま、父さんは短く応えた。
 医師は眉間にきゅっとしわを寄せて、さらに一歩、父さんに詰め寄った。
「一命は取り留めましたよ。失血性ショックをおこしたのは、もともとかなりの脱水状態だったせいです。補液が間にあってからのデータがこれだ」
 白衣のポケットからひっぱりだした紙切れにはぎっちりと細かい数字が印字されていた。それを父さんの鼻先につきつけて医師がまくしたてた。
「ケトアシドーシス。低アルブミン血症。鉄欠乏性貧血……あんた、子供を飢え死にさせるつもりだったのか?」
 父さんは憮然として年下の医師を見つめ返した。
 廊下中に響きわたった騒ぎを聞きつけたのだろう。堂島さんがこちらに走ってきながら、さらに大きな声をだした。
「先生、ちゃいますがな。この人は被害者の家族やない」
「けど今、父親って……」
「私はこの子の父親です」
 父さんが僕に手をふってみせた。
 医師はようやく誤解に気がついて、ばつが悪そうに眼鏡を押し上げたが、謝罪もせずにくるりと後ろを向いて処置室に戻っていった。
 堂島さんのほうが恐縮して、ぺこりと頭をさげた。父さんが何か訊こうとして、携帯の着信音にさえぎられた。
 刑事さんは僕らを気にしながら通話口を覆って話しだした。
「……はい。いや、江坂とちゃいます。肩の傷は千林っちう……肋骨骨折?……いや、それも別件で……」
 通話を続けながら、大股で来た方向に歩いていってしまった。
 僕の頭にはさっきの医師の話ががんがんと鳴り響いていた。キアが助かったと聞いてほっとするどころか、まかり間違えば命を落としていたと知って胸がぎりぎりと痛んだ。自分の軽はずみな行動が許せなくて、今となっては何もできないことががまんできなくて。膝頭に顔を押しつけて必死で涙をこらえた。
 父さんはそっと僕のそばを離れた。堂島さんの去ったあとを追い、受付の人や通りかかった看護師さんと何事か話して戻ってきた。
「場所をかえよう。立ちなさい」
「家には帰らない」
「このドアの向こうにはもう、友達はいないよ。病棟に移送されたそうだ。ここにはすぐに別の患者さんが運ばれてくる。家族待機室にいるのはかまわないと言ってもらったから、邪魔にならないうちに移動しよう」
 反論の余地などなかった。僕はしぶしぶ腰をあげ、父さんのあとについて行った。

 改築されたばかりの救急病棟の向かいに旧病棟の建物が残っていて、家族待機室はその一階の隅にあった。大きな病室のベッドを取り払ってビニールレザーの長いすを並べただけの殺風景な部屋だった。
「僕ひとりでいい。勇を迎えに行ってやってよ」
「中学生以下は保護者同伴が規則だよ。勇のことは御影さんに朝までお願いしてきた」
 救急車のサイレンがさっきまで僕がいた方向からうるさく鳴り響いてきて、ぱたりとやんだ。
 しばらくして家族連れらしき人たちがどやどやと待機室に入ってきた。ころころに太った中年夫婦と幼い子供が三人と年とった女性と、若い男の人が二人ほどとその相方の女の人たちと。僕にはさっぱりわからない言葉でかしましく話し合い、足を踏みならし、涙ぐみ、なぐさめあいの騒動になった。
 僕と同年輩の女の子がドアから顔をつっこんで何事か叫んだ。一族がわっとばかりに彼女を取り囲み、口々に質問をぶつけだした。女の子は通訳をつとめているらしい。横に立った年輩の医師の話を聞いてはひたすらしゃべり続けた。何十分かたってようやく全員が状況を呑みこんだらしく、今度は大人同士がわあわあと議論をはじめた。さらに何十分かたって話がまとまったようだ、お互いの肩をたたきあいながら、三々五々、ほぼ全員が帰って行った。
 残ったのは中年の男の人がひとりと、僕と父さんだけ。
 東の空がうっすらと明るくなる頃になってもキアの家族は誰ひとり現れなかった。
 向かいの長いすに寝転がった男の人には日本語はわからなかったと思う。それでも父さんは、その人がいびきをかき始めるまで待って、僕に小声で話しかけた。
「さっきの話だがね。私が助けに来なかった、というのはいつのことだったのかな」
 この状況でそんな話を蒸し返されたくなかった。僕は長いすの端に身体をまるめてそっぽを向いていた。
 しばらくして父さんがつぶやいた。
「……覚えていたんだな」
 それじゃあ、親は始めっからわかってたんだ。僕が忘れているならそのままにしておこう。今までそんなふうにほったらかしていたのか。
 また胃のむかつきがひどくなって吐き戻しそうだった。それでも今の僕には考えなければならないことが他にあった。
 キアの親類縁者に会えないかぎり、僕が容態を教えてもらったり面会できる可能性はない。それがわかっているから、父さんは僕があきらめるのを黙って待っているんだ。ならばこちらから行動をおこすしかない。
 さっきの一族は「お祖父ちゃんを個室に入院させてやって欲しい」と医師に懇願していた。「最後の空室が埋まってしまったところだ。警察の要請があるので今から変更はできない」というのが返答だった。
 父さんが部屋を出ていった。二時間おきのパターン。たぶん御影さんへの連絡のために。パターン通りなら、戻ってくるのは約一分後。
 僕は頭の中で二十数え、父さんが置いていったジャケットをはおって部屋を出た。
 汚れた上着を見られないようにジャケットの前をあわせてまっすぐ背筋をのばし、何食わぬ顔をして引継ぎ連絡中のナースステーションを通り過ぎた。
 個室の並ぶ廊下を通過して角をまがり、一呼吸おいて引き返した。患者名の掲示されていない病室はただひとつ。誰も見ていない隙をねらい、静かにドアを引いて忍び込んだ。

 部屋の中はむっとするほど暖かかった。僕はジャケットを脱ぎ、足音をたてないように気を使いながらベッドに近寄った。
 キアは目を閉じて仰向けに横たわっていた。お仕着せの寝間着に右腕だけを通し、左腕から肩まではごついテープと包帯でがんじがらめに固定されている。胸にはプラスチックのコルセットがはめられていて、隙間から青黒い打撲痕が見え隠れしていた。
 きりきりと痛む鼓動に耐えながら、恐る恐る顔をのぞきこんでみた。
 出し抜けにさっと伸びた右手が僕の顔を押さえた。
 あやうく叫びそうになり、焦って口を閉じたひょうしに思い切り舌を噛んでしまった。
「騒ぐなよ」
 キアがささやいて、くすりと笑った。僕を見上げた目には、おなじみの冴えた光が戻っていた。
 涙がにじんだのは舌が痛かったからだ。
「驚かすなよ。かえって大声出しちゃうとこだったじゃないか」

らす・きあ蛇足話 その58 第52回、第53回のあらすじ

 蛇足話その55でお知らせしましたとおり、暴力シーンを読みたくない人のためのあらすじを掲載します。
(ネタバレ注意)

 
 宇多野先生は自分の犯行を隠すために深夜の学校に忍び込む。そう考えた僕は堂島刑事に張り込みを依頼する一方、自分も家を抜け出して通用門の前で待ち伏せをした。
 僕の予想に反して、先生だけではなく江坂までが現れて僕をつかまえてしまった。堂島刑事は江坂が失踪した出戸と多聞の行方を追っていることを承知で、僕を囮に利用したのだった。
 僕を盾にとって刑事たちを威嚇する江坂にキアが飛びかかった。
 父親に監禁されて縛りあげられたロープを自力でほどき、僕を助けに来てくれたのだった。
 江坂から逃れた僕を狙って千林が投じたナイフが誤ってキアの肩に突き刺さった。
 宇多野先生と江坂と千林は捕まったが、僕の腕のなかキアの容態が急変する。
 僕はキアと一緒に救急車に乗り込み、病院に移動した。
 病院でひとり取り残された僕の前に父さんが現れ、すぐに家に帰ろうと言って来た。
 こんな事態になっても冷静さを失わない父さんに強い怒りをおぼえ、僕は父さんを罵倒してしまう。

らす・きあ蛇足話 その57 新成人

 本日、2010年9月9日は滋の二十歳の誕生日です。
 聡の誕生日は6月4日なので、これで二人そろって新成人。
 明智市、神部市、逢坂市の世界で、ちゃんと大人になりました。
 「脚高蜘蛛」の事件以降も決して平坦な人生ではなかったようですが、この先も二人でなんとか生き延びていってくれるはずです。
 物語は一応、三部作で一区切りと考えています。それでもいつかそのうち、その後の二人について書いてみる機会があるかもしれませんね。
 少なくとも二人とも高校は卒業したようですので、ご報告まで。

ラス・キア 子守唄墓守虫(ララバイ・シデムシ) 第53回

 空き地の外からどたどたと足音がした。宇多野先生ともうひとりの刑事がもつれあいながらなだれ込んできた。
「気安くさわるな!まだ同行するとは言ってないからな!名誉毀損と不当逮捕で訴えてや……」
 宇多野先生はそこで江坂に気づき、血走った目を見開いた。
「どうして……あんたがここに……」
 つぶやいたまま、がくんと顎を落として腰をぬかしそうになった。
 江坂がいらっと眉をひそめた。
 僕のぼやけた視界のすみを黒い影が走った。目の錯覚ではなかった。影は僕のすぐ横で跳躍し、江坂の頭に覆いかぶさった。
 江坂はくぐもった声をあげ、僕を突き放して影に手をかけた。
 影は江坂の首にしがみついたまま、くるりと背中にまわり、足をからめて脇をしめあげた。
 僕は茂みにへたり込み、腹を折って息を吐いた。肘の関節をはずされたと思っていたが、痛みは嘘のようにひいていた。
 江坂は影を……キアをふりほどこうとして前のめりにとんぼをきった。地面にたたきつけられても離れないとわかると、身を起こしてクロマツの木の幹に背中から体当たりした。
 キアの頭のあたりでごつっ、ごつっと鈍い音が何度も響き、樹皮のかけらが飛び散った。
 僕は大声をあげて走り寄ろうとしたが、堂島さんに腕をつかまれてつんのめった。
「ぼけっとしとらんと、止めんかい!」
 堂島さんの一喝で刑事たちがわっと二人に群がり、もろともに押し倒した。
 江坂が両手両足を捕まえられたとわかって、キアはようやく腕をゆるめた。
「この坊主、どこからわいて出た……うえっ……」
 肩で息をしているキアをひきはがした刑事が素っ頓狂な声をあげた。僕と別れた時に身に着けていた服のまま……。どろどろに汚れたカッターは、あちこち裂けて乾いた赤茶色の染みをつけていた。よじれたスラックスからのびた素足は砂利まみれ。右手首にはきつく結ばれたロープ。左手首には無数の擦り傷と縄目の痕。
 僕はことばにならない声でわめきながら堂島さんの手をふりほどき、キアに駆け寄った。
 江坂は刑事に腕をつかまれてしおらしく立ち上がったかにみえた。その刑事の足がふわっと浮いて空に向いた。すっころがった同僚をもうひとりが支えようとして膝裏を突かれ、折り重なるように倒れた。二人を踏み台にして江坂がダッシュした。
 退路の先に僕が走りこんでしまった。ほとんど真正面からぶつかって跳ねとばされ、僕は頭から地面にたたきつけられた。
 キアが雄叫びをあげ、スズメバチのように江坂に突進した。
 江坂は蹴りこまれた足を片手でいなしてその勢いで投げをうった。キアはくるりと後転して踏みとどまり、またも江坂の懐にとびこんだ。
 二人は抱き合うようにからみあったままごろごろと横転した。
 僕は額をおさえて立ちあがりかけたが、足元がふらついてすぐに膝を折ってしまった。うつむいた頭の上を、ひゅっと風を切って何かがかすめ飛んでいった。
 下になった江坂に喉輪をかまされてキアが上体をおこした。その肩あたりでぎらりと何かが光った。
 カッターの身頃がまっすぐに切れてめくれあがった、と思うまもなく真っ赤に染まって垂れ下がった。キアの肩に冷たい金属の刃が生えていた。
 キアは叫びそうに大きく口をあけたが、すぐに歯をくいしばって悲鳴を呑みこんだ。
 江坂の両腕をつかんだ手もゆるめなかった。
 傷からあふれ出た暗赤色の血が江坂の頬にぼたぼたとしたたり落ちた。
「だぼくれが……離さんかい!」
 江坂の顔がひきつった。こんなに焦ったやつを見るのは初めてだった。
「俺がばらすんはお前やない……」
 江坂は両足を大きく振って背中を弓なりにはずませ、身体を起こした。押し返されたキアの肩から諸刃のナイフがはずれ落ち、開いた傷口からさらにおびただしい血が流れ出した。
 それでもキアは江坂の腕を離さなかった。
「えらいとばっちりや。迷惑やで!」
 しびれたように身動きできなくなっていた僕は、背後の騒ぎで我に返った。
 千林が刑事のひとりに片腕をつかまれ、両足を地面にひきずったまま引き立てられて来るところだった。
「違うんだ。烏丸を脅そうとしただけで……嘘だろ。まさか本当に刺さるなんて……」
「あほう!こんな得物使うて、いいわけできるか!」
 僕はよろけながら歩きだした。
 刑事の怒号と金属のがちゃがちゃぶつかりあう音を背に聞きながら。腰を抜かして大口を開けている宇多野先生の前を通り過ぎ。
 江坂の腕にくいこんだ指を無理やりはがそうとしている刑事の横から身体をすべりこませてキアの背中をそっと抱きかかえた。
「もう、いいんだ。僕は大丈夫だから。お願いだから。もう楽にして……」
 傷口を押さえた僕の左手に、キアの右手がのせられた。
 手首にはロープが食い込んだまま。黒ずんだ指先は皮がめくれ、爪がはがれて血がにじんでいた。
 縛りあげられた状態をなんとか自分でほどいたのだ。
 頬を熱い水が伝って擦り傷にしみ、視界がぼやけた。
 ぐったりと寄りかかってきたキアの身体は爬虫類のようにひんやりしていた。僕を見上げた目は膜がかかったように焦点がさだまらず、顔色は紙のように白かった。
 皆が急に黙りこくった空き地でまたカネタタキが鳴きだした。僕の心臓の鼓動はその音よりずっと早くなっていた。
「おい……しっかりしろよ……」
 キアの身体が急に重みを増して、ずるずると僕の腕のなかからずり落ちそうになった。
「……葺合……キア!……しげるぅぅ!」
 僕の絶叫が合図だったかのように、周囲の人達が一斉に動き出した。
 声を限りに叫び続けながら、僕の頭の中も真っ白になっていって……。
 パトカーと救急車のサイレンの音を聞いたと思ったのはもう、現実なのか空耳だったのかもわからなくなっていった。


2003/10/05 Sun.

 救急車が病院に着き、事態はするすると僕の手の届かないところを流れだした。
 アリのようにキアを取り囲んだ大人たちは皆自分の役割を心得ていた。救急処置室のドアがぴしゃりと閉められたあと、僕は廊下にひとり取り残され、膝を抱えて座りこんでいた。人の話し声や足音、単調な機械音も聞こえているのに、なぜだか無音の状態よりもしんとした心地がした。冷たく湿った空気はねっとりゲル化して、息をするのも疲れるほど重たかった。
 ……ずっと昔にも、こんなふうに縮こまって誰かを待っていたことがあった。あのとき、幼い僕は待つことにがまんできなくなって……それから何が起こったのだったか……。
 どれくらい時間がたっただろう。夜間窓口あたりから声高な会話が聞こえてきた。
「どうしてうちの子をこんなところまで連れてきたんですか!」
 聞きなじみのある深い声。珍しく本気で怒っている。
「すみません。患者さんが不穏で……息子さんを離すと暴れ出したもんだから……」
 さっきまで一緒にいた救急隊員の声。救急車のなかで、キアの手を握った僕の横にずっと座っていた人だ。
 大きな手がにゅっと伸びて僕の両頬をはさんだ。父さんの顔がぐっと近づいてきた。
「けがはないのか?」
「……出血量のわりに容態が重いって言ってた」
 見当違いの返事に父さんは眉をひそめ、何か言いかけて飲み込んだ。
「顔と手は拭いてもらったんだな。しかし、着替えないわけにはいかんだろう。家にもどろうか」
「いやだ。ここにいる」
 父さんは僕の両肩を抱いたが、無理に立ち上がらせようとはしなかった。
「勇を御影さんに預けたままなんだ。きっと寂しがっているよ」
「なら、さっさと勇のとこに帰ってやればいい」

らす・きあ蛇足話 その56 BGM

 落ち込みムードで筆が進まないときに、自分にはっぱをかけるための応援歌です。
 この曲が流行った頃をリアルタイムでご存知の方は同年輩ですね。

 「春の海」シャープ・ファイブ

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