フォト

保管庫

2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

いただいた宝物

  • オカダンゴムシくん
    お友達や読者さんからいただいた画像の展示室です。 感謝。

参加しているウェブ小説ポータルサイトさま

子供達の未来を守ろう

  • 子どもの権利条約
  • 子ども虐待防止「オレンジリボン運動」
無料ブログはココログ

« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »

2011年3月の記事

震災20日目

宮城県に応援に行っている知人からの報告の続きです。

「強い余震がきた!完全に思い出した!」

彼女も16年前、神戸にいたのです。10年経とうが20年経とうが、強い揺れを感じれば「あの瞬間」を思い出します。あの瞬間から変わってしまった毎日を思い出します。
これは病気でもなければ心の弱さでもない、忘れられないもの、思い出してしまうものはあるんです。

兵庫県南部にいると、被災した地域や人たちを放っておけない、何かせずにおれないという熱気のようなものを感じます。
みんなが大声をあげているわけではないけど、口に出さなくても同じことを考えている、という感じがします。
人のためだけではない、自分がこれからも生きていくため、忘れられないあの瞬間をかかえていくために、考えなければならない、行動しなければならないという思いがあります。

震災19日目

東北で児童福祉関係の仕事をしている人たちからの情報もはいってきました。

津波被害は逃げ切って助かるか飲み込まれて命を落とすかの二者択一、けが人が非常に少ない反面、避難所の感染症対策、ストレス対策が急務となっている現状のなかで、子供達も今までの災害とは全く違った体験をしているようです。

津波にさらわれていく人を目撃したとか。
津波のあとで様子を見に帰った自宅に見知らぬご遺体が流れ込んでいたとか。
高いところにひっかかっているご遺体を見てしまったとか。

大人たちは生活の維持と復旧に忙殺されていて、なかなか子供達の気持ちを汲むところまで余裕がない。子供達は大人たちに叱られたり、大人同士が言い合いを始めたりすると黙って縮こまってしまう。
今しばらくは大人たちを通じて世界のようすをうかがっている子供達は、この先何年経っても忘れないであろう経験と折り合いをつけて生きていかなければならない。

長い長い道のりが、私たち今の大人の死後も続いていくことになります。

震災18日目

原子力発電に関する私の知識は、高校時代に物理学のレポートを提出するために調べたところで終っています。
放射線医学についても大学でさらっと習っただけで、社会人になってからは復習する機会もありませんでした。

その程度の人間ですから、現在の原発対策に口出しすることもできません。
放射性物質による汚染については、有機水銀、PCB、六価クロム、ダイオキシン、アスベストなどと並んで、疫学的に人体に害をなす恐れのある物質がまた数種類増えて、今後その後始末をしていかなければならないのだな、くらいに認識しています。

今の私にわかるのは、放射線による直接被害より先に、人々の不安、不信、恐怖感への対応策がうまく機能していないことによる犠牲者がでてしまった、ということです。福島県で自殺された農家の方は、原発事故の第一の被害者でしょう。

私たちは直接原発に水をかけに行ったり、冷却装置の復旧作業を手伝ったりすることはできませんが、何もできない不安で宙ぶらりんな気持ちを意味のない行動で解消しようとすることは厳に慎まなければならないと思います。

しなくてもいいことをしてしまったせいで、犠牲者が増えるのはごめんです。

震災17日目

第一陣と交代で仙台に入った知人からメールが届いています。

同じ市内でも地域によって全然ようすが違う。
報道を超える惨状に愕然となる。
被災した中学生らがボランティアに精を出してがんばっている。

しかし、寒い! ともかく寒い!とのこと。

近畿だってお水取りもとっくに終ったというのに、いまだにコートとマフラーが手放せません。
東北地方の最低気温は軒並み氷点下。
今年ほど春の訪れが遅い、早く暖かくなって欲しい、と気をもんだ3月はありませんでした。

生協の取り組みで家にありったけの使い捨てカイロを寄付させていただきましたが、早くカイロのいらない気候になって欲しいものです。

震災16日目

16年前の阪神淡路大震災の時、私たちの家族は明石に住んでいて、私の仕事場も子供達の保育所も明石市内にありました。
夫は明石から東海道本線を利用して大阪まで通勤していました。

地震で神戸から尼崎までの交通路が壊滅したため、夫は明石からいったん加古川に引き返し、加古川線と福知山線を利用して大阪に通勤しなければならなくなりました。
大阪市内に大きな被害はありませんでしたから、当時大阪に泊まり込んで仕事を続けた人たちもたくさんおられたと思います。
それでも夫は何時間もかけて週に2回は帰宅してくれました。
大阪から西宮まで、灘から明石まで電車が動き始めてからは、そのあいだの区間を折りたたみ自転車で走りぬけるようになりました。
私と子供達の周囲いは援助してくれる人たちもたくさんおられたのですが、ともかく夫が帰ってきてくれることがとても心強かったことをよく覚えています。

先行きの見えない不安な状況のとき、家族が一緒にいられることは大きな力になります。逆にいうと、仕事の都合で親だけが単身どこかに泊まり込む、あるいは少しでも安全な場所に家族の一部だけを避難させることにはメリットもデメリットもあって難しいところだと思います。

みんながそうだとは思いませんが、当時離れて暮らす期間が長引いた家族のなかには気持ちをひとつに戻すまでに苦労された人たちもおられました。
今回やむなく離れて暮らすことを選択したご家族が、お互いにしっかり連絡をとりあって困難を乗りきってくださいますように。

震災15日目

被災者支援の報道のなかで、「格差」ということばが使われていました。
避難所でも地域によって物資の行き渡り方やボランティアの浸透ぐあいに差がついてきている、という話でした。

確かに、同じような援助を必要としている地域のあいだで極端な差がつくのは問題だし、援助の網の目からこぼれる地域のないように気を配ることは大切だと思います。

けれど、今回の災害では、被災した人たちの困っていること、必要としていることが地域によってばらばらなのも大きな特徴だと思います。

津波被害にあった地域、地震による直接被害の大きかった地域、原発の被害が懸念される地域、作物の出荷が制限された地域、電力不足の地域。
どこが大変でどこは大変じゃないという話ではなくて、それぞれの困りごとと必要な支援が異なっているということなのだと思います。

現地の人たちも「うちは他所ほどひどくない」ではなくて「次にしなければならないことが違っている」と考えて、必要な支援を教えていただきたいです。

震災14日目

現地の医療機関は限界を超えた稼働状態とのことで、患者さんを遠隔地の病院へ搬送する動きが活発です。
搬送中の病状悪化防止や事故防止も大変だと思いますが、無事に他所の病院についても心配なことがあります。
自治体ぐるみや縁故を頼っての避難とは違い、患者さんの容態優先で搬送先が決まるでしょうから、行き先がばらばらになって、もとの居住地域との連絡がとりにくくなってしまいそうなのです。

阪神淡路のときも、大阪や和歌山の病院に運ばれた人がそのまま長期入院になってしまい、つきそいの家族ともども気がつけば大切な地域情報を聞き逃していた、ということがあったそうです。

命を守ることが最優先なのは当然ですが、せっかく助かった人が住処を失って途方にくれないように、きちんと連絡をとり続ける方法をお知らせして欲しいと願います。

震災13日目

先遣隊として被災地支援にはいっていた人たちが情報をもって帰って来ています。
みなさんが異口同音に心配されるのが
「東北の人たちは黙って我慢しすぎ!がんばりすぎ!」
ということです。
神戸や大阪の人が自分たちと引き比べてしまうのでしょうが、初対面の人にはそうそう簡単に話をしてくれない、いろいろためこんでしんどくならないかと気になるそうです。

また、東北の人たちは郷土愛が強く、地域の連帯感が強いので、そうそう簡単に他県へ避難したいと思わないだろう、とのことでした。
逆に言えば、西日本まで避難してくる人には相当の理由と覚悟があるということなのでしょうね。

被災地の人たちの主導権を尊重しつつ、多少のおせっかいもさせてもらったほうがいいのかもしれません。

震災12日目

仙台の実家へ行ってきた知人から現地のようすを聞きました。
津波をまぬがれた地域では比較的速いペースで生活の建て直しがすすんでいるそうです。逆に、津波をかぶった地域はまだまだ難題だらけのようです。

気になったのは医療、行政、福祉関係の仕事をしている人たちが相当がんばりすぎているという話。
自分たちも被災しているのに、休む暇もなくお仕事されているとのことでした。

仕事は激増、可動人員は減少、震災関係に限らず、通常の業務にも助っ人や交代要員が必要そうです。
自治体間でのの支援も救命救急からインフラの復興、避難所運営や衛生管理にシフトしていくことになるのでしょう。

しかし、西日本から東北は遠い。
寝具や食料はもちろん、自動車もこちらから持ち込まなければ、現地での移動もままならないとのこと。
応援に行くにしても準備が大変です。

震災11日目

16年前の兵庫県南部地震と今回の東北沖地震、規模も違いますが発生時刻も違いました。
兵庫県の人たちは、大多数が家族そろって眠っているところで被害に遭いました。そのため逃げ遅れた人も多かったのですが、行方不明や生死のわからない人は比較的少なかったのだと思います。

今回の地震は昼過ぎだったため、自宅、職場。学校などにばらばらになっていた家族がほとんどだったでしょう。そのせいで生死の確認もままならない、生きている人どうしも無事を確かめ合うのに時間がかかるといった事態になってしまいました。

なかでも心配なのは子供たちです。親と離ればなれになったまま恐ろしい時間を耐えなければならなかった子供たちがたくさんいます。
そのまま二度と親と逢えなくなった子供もいるでしょう。
幸運にも再会を果たせた親子であっても、恐怖や不安の記憶はそう簡単には薄れないだろうと思います。

子供たちの傍には頼りになる大人がしっかりついていてあげて欲しい。やむを得ない理由があってまた家族と離れなければならないとしたら、その時にはお互いにしっかり連絡が取れるようにしてあげて欲しいと切に願います。

震災10日目

被害のひどかった地域から他県へ、西日本へと避難してくる人たちがどんどん増えそうです。
また、被災しなかった地域からのボランティアの人たちも、これからどんどん被災地へ入っていくことでしょう。

今回の災害はすでに阪神淡路の規模をはるかに超え、私たちにも未体験の領域にはいっています。現地にいた人たちの報告や意見に謙虚に耳を傾け、次にするべきことを考えなければならないでしょう。

被災地以外の地域の人たちにお願いです。避難してくる人や現場を体験してきた人に聞きたいことは山ほどあるでしょうが、そういった人たちを質問攻めにするのは控えていただけませんか。
災害はいまだ現在進行形であり、落ち着いて語るには生々しすぎます。同じことを何度も聞かれるのも苦痛だと思います。
まずは話していただきたいことをじっくり聞かせていただく。話したくないことは敢えて聞き出さない。
それが援助させていただく側のマナーだと思います。

震災9日目

ああ、また始まった、とため息のでるニュース。

放射性物質の飛散による健康被害や食品汚染。
確かに心配は心配なんですけど、今すぐ健康に悪影響があるほどのものではないんでしょう。
生活に余裕がある時には厳しめの安全基準も必要なのだろうし、もっと事態が深刻になってくればまた話は別なのだろうけど。
今、いろいろな問題がまだまだ流動的で先が見えない時期に、平時の基準値を超えた超えないで騒いでも仕方ないと思うのですが。

いやなニュースも流れてきます。
福島県から避難してきた人が、出身地を伝えたとたんに宿泊施設の利用を断られたという話。
ホテルや旅館の人が心配するのは、他のお客さんが宿泊しなくなるんじゃないか、とうことでしょう。つまり、私たち一般市民が被爆の恐れのある人たちを忌避するのではないかと疑われているのですよ。

レプラ。コレラ。エイズ。肝炎。鳥インフルエンザ。
そうそう簡単には感染しない病気なのに、隔離だなんだと騒いでよけいに関係者を傷つける。
ましてや放射線なんて、かかった部分をきれいにしてしまえばすむ話。
人から人へ感染するもんじゃありません。
もういいかげん神経質になりすぎるのはやめにしませんか。

震災8日目

 物資の不足やライフラインの途絶に一番敏感なのは、赤ちゃんや幼い子供のお母さんだと思います。
 大人なら事情もわかるし、短期間なら多少の不便をがまんしても大丈夫でしょうが、赤ちゃんは少しでも気温が下がったり水分がとれなかったりしても命にかかわってしまいます。

 十数年前に米の不作で日本中が混乱したとき、我が家には離乳期の息子がいました。タイ米ではおかゆが炊けないので、米屋を何軒もまわって日本米をさがしまわった記憶があります。

 子供達を守るために必死になっているお母さんたちがたくさんおられると思います。そんなお母さんたちを守って安心させてあげるのがお父さんたちのお仕事のはずなのですが、いろいろな事情でお父さんがそばにおれないとか、もともとお母さんがひとりで子育てされているような場合、とても不安が強いだろうと思います。

 思いあまったお母さんたちが買いだめに走ったり給油の順番を守れなかったりしても責めるのは気の毒に思ってしまいます。
 ルール違反はもちろんよくないし、危険でもあるのですが、なりふり構わないお母さんをみかけたら、「大丈夫ですか」と声をかけてあげたいです。

震災7日目

 茨城県在住の知人から、「水道がやっと復旧した」とのうれしい知らせが届きました。
 今回の震災では津波と原発ばかりがクローズアップされていますが、被災地はとても広く、家屋の倒壊や地盤の液状化、ライフラインの途絶に苦労している人たちは内陸部や日本海側も含めて何百万人とおられるはずです。

 新聞の被災地マップも当初は東北の沿岸部だけでしたが、ようやく茨城県、千葉県、新潟県あたりまで載るようになりましたね。

 阪神淡路大震災当時、私は明石市に住んでいました。

 明石市の死者は11名。神戸市は4500名以上。被害のひどさは比べようもないので、マスメディアが「神戸、芦屋、西宮」を連呼していても黙っていましたが、「明石は東播磨なんですけど被災してますう」と言いたかったのも本音です。

 被害の比較的ましだった地域は自分たちの生活を復興しながらもっと大変な地域への援助の橋渡しをするという大変さがあります。

 黙ってがんばっている北陸北関東北海道のみなさん、地震があったことすら忘れられている長野県北部のみなさんに、もと明石市民からエールを送ります。

震災6日目

被災地以外の地域にお住まいの方たちへ。
ちょっと下記のリストをチェックしてみてください。

仕事の休憩時間や通勤の途中など、寸暇を惜しんでニュースをチェックしている。
家にいるときはTVのニュースを流しっぱなしにしている。
お笑い番組を見たり誰かが冗談を飛ばすのを聞いたりすると腹がたつ。
趣味に興味を持てなくなった。気晴らしする気分にもなれない。
ネットを渡り歩いて震災情報をかきあつめている。
睡眠時間が減った。寝つきが悪い。夜中に目が覚める。
食欲がわかない。食べるのがめんどくさい。食べ物のあじがわからない。
ふだんはそうでもないのに、ここ数日便秘ぎみ。
逆におしっこは近くなった。
一人暮らし。世間話をする相手がいない。
平和な日常が嘘くさく感じる。現実感がない。
気が短くなった。なんとなくいらいらする。
震災や放射性物質の被害体験者である。
大規模な余震や原発の大爆発が今にも起きそうで心配でたまらない。
いますぐ日本から逃げ出したい。


いくつもあてはまるひと、気をつけてください。
緊張状態が続きすぎて、知らない間に心が疲れているかも知れません。
三連休にどっぷり震災関連のニュースばかり見ていると、ますます疲労をためて、本当に何かが起きたときに正常な判断ができなくなるかもしれません。

目にも耳にも心にも休養と栄養補給が必要です。
たまにはTVもパソコンも消して、散歩にでも出かけてみてください。
料理でも掃除でも洗濯でも、庭木やペットのお世話でもいい、家事をきちんとしてみてください。
心身のコンディションをきちんと整えて明日に備えましょう。

震災5日目

昨晩、 TVで震災関連のニュースを見ている最中に緊急地震警報がはいり、まもなく静岡で大きな地震が起こりました。
揺れるスタジオで実況を続けるアナウンサーさんのひきつった顔を見て思いました。
この人たちも被災者なんだ。
東京で対策会議を開いている政府の人たちも、それを取材して報道している人たちも、全然減らない余震に悩まされ、ライフラインや放射能の心配をしながらお仕事しているんだ。
ひょっとしたら昔の私たちのように、服を着たまま布団にもぐりこんでいたり、枕元に非常持出し袋をおいているのかもしれない。
通勤がままならないせいで、家族と離れて職場に寝泊まりしているのかもしれない。
ちょっとした振動でもびくっとしたり、いつもより笑ったり泣いたりの感情の揺れ幅が大きくなっていたり、わけもなくハイになったり、逆に落ち込んだり。現実が夢のように思えてふわふわしていたり。
そんなのは災害にあったときには誰にでもおきる自然な反応なのだけど、今がんばってお仕事しないといけない人ほど、自分の状態に気がついていないかも知れません。
「自分の被害なんてたいしたことない」と思っている人も、相応の影響は受けているはずです。すぐ傍にいる人たちのようすを気にかけてあげてください。どうかお互いにうまいこと愚痴をこぼしあって、暴走爆発沈没を回避してください。

震災4日目

目に見えないモノ、手で触れないモノの扱いはやっかいですね。
人体に被害をおよぼすと知っていても、見えない聞こえない臭わない触れない、痛くもかゆくもないモノから身を守るにはどうしたらいいでしょう。
そのモノを計測、検出するような機器や手段に頼るしかないわけですが、そういった測定値や拡散状況の予測などの情報が、限られた窓口からしかもたらされない、しかも、情報提供者がそのモノの管理責任者だとしたら、被害者はその情報を全面的に信用できるでしょうか。

放射能汚染対策って、かなりの部分が疑心暗鬼対策なのだろうと思います。情報の質を決めるのは精度とスピード。両立は難しいけど、ためらいが過ぎると「隠してんじゃないの」と疑われる。

情報提供者がパニックを恐れるなら、受け手が冷静に行動できることをアピールするのも方法でしょうか。

一昨年のインフルエンザ騒動の時にも感じたことですが、どんな相談窓口も個々人の不安にきっちり応えることなどできません。
知りたい気持ちはやまやまですが、情報提供者の誠意をそこそこ信じる度量も必要なのだと思います。

計画停電をめぐる情報の錯綜は首都圏の人たちの不安を煽ってしまったようですが、企業にしろ個人にしろ、その判断や行動の是非を外野がどうのこうの批判するのは時期尚早だと思います。

今は前例のない問題の解決に手探りで奮闘している人たちに、黙って仕事をゆだね、多少の不手際はフォローするくらいの心構えでいられたらいいな、と思います。

安全な場所から外野が何言ってんだ!というご批判は甘んじて受けます。

震災3日目

地震発生が金曜日の午後であったこと。
被災地域が超広域で、首都圏も当初からまきこまれたこと。

阪神淡路の時とは異なる点です。
このため、政府やマスコミの初動が迅速で、週末には日本中(世界中?)の人たちがTVにかじりついて被害の映像を見続けました。

状況が明らかになるにつれ、人々のおかれた状況にもどんどん色合いの差がはっきりしてきたようです。
被災地域で悪戦苦闘している人たち。
計画停電や交通機関運休の影響をかぶっている人たち。
そして自分に何ができるかもわからないままに気をもんでいる人たち。

とくに近畿以西の人たちは、メディアが流す悲惨な光景と普段通りの生活の狭間で困惑しているようにもみえます。
節電協力を求めるチェーンメールがあふれたのも、持って行き場のない気持ちのあらわれともとれます。

情報化が進んだことで、今ここではおこっていない惨事を疑似体験するという新しいかたちのストレスが生まれているともいえるでしょうか。

今回、被害を免れた私たちにできる基本的な支援は、日本の日常を守り続けることだと思います。
娯楽やイベントを自粛するのも自然な気持ちのあらわれですけど、服喪の作業には、おそらく何十年単位の過程が必要でしょう。
いずれ経済的な逼迫や物資の欠乏というようなかたちで私たちも努力しなければならなくなっていくはずです。
楽しめるときに楽しむこと、笑えるときに笑っておくことも大切だと思います。

震災2日目

ネットのあちこちで災害情報関係、援助情報関係のサイトが整理されてきたようです。

被害のひどいところほど情報発信も受信もままならないので、本当に大変なことがわかってくるのはこれからでしょう。

情報が広がればデマも広がるもので、特にパニック映画なんかがお好きな方たちのなかには「報道されない集団パニック、暴動、犯罪」系統の話題を持ち出す人もおられるでしょうね。

経験からいえば、本当に災害がひどいときには大きな暴動もパニックもかえっておこりにくいものです。

緊急、重要な情報交換は大きなところで集約していただくとして、こちらのブログでは単なる余談、愚痴、「もっと困ってる人がいるのにこんなことで悩んでいいのかな」みたいな話ができればいい、と思っています。

さて、何日継続できるかな。

震災1日目

朝のニュースで各地の津波被害を見て唖然呆然としました。
木造家屋が土台だけ残してなくなっているよ。遺跡みたいに。
これからどれほど人的物的被害が広がるのだろう。
被災地域が阪神淡路のときとは桁違いに広いので、救助も復興も桁違いに困難になるでしょう。

関西在住で、すぐに被災地救援に飛んでいくこともままならない身ですが、しばらくは地震・津波関連の感想など書き続けてみようと思います。
「暴力論」はしばらく休載させてください。

誰かに何か言いたくなった人、経験者(というほどでもないが)と情報交換してみたい人、どうぞ遠慮なくこの場をお使いください。
「深刻で緊急な相談ばかりのところへは書きこみにくい」
「こんな些細なことで悩んでていいのかな」
なんてコメントも歓迎です。

「暴力論」の連載を開始します。

私が「墓守虫」執筆終了後からSNSで連載していたエッセイを多少校正して、こちらのブログでも掲載しようと思います。

はじめはまとめてサイトに掲載しようかと思っていたのですが、なにしろ分量が多くて(あらためて数えたら連載33回ありました)全体の校正がいつまでかかるかわかりません。
その間、ブログをほったらかしにするのも寂しいので、校正できたぶんから少しずつ発表していくことにしました。

小説のように娯楽を意識した文章ではないので好きになれない読者さんもおられると思います。そんな方はどうぞ、無理なさらずに放置してください。
でも、本音では異論反論共感修正、いろんなご意見をいただけたほうがうれしいです。
よろしくお願いします。

« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »