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2011年4月の記事

震災50日目

連休を利用してボランティアに出かけようという人がたくさんおられるようです。

純粋な善意と熱意には頭が下がります。
せっかくですから、できることなら気持ちよく活動してきていただきたい、帰宅する段になって「こんなはずじゃなかった」にならないように、準備をしていってくださいね。

体調や装備はもちろん、心の準備も大事だと思います。
ここからは個人的な意見になりますが、ボランティアの心得で一番大切なのは、
「感謝を求めない」「評価を求めない」ことだと思っています。

支援を受ける人たちに感謝の気持ちが無いとは言いませんよ。
でも、受ける側からみれば大勢の人たちが入れ替わり立ち代わり押し掛けるわけですから、いちいち礼儀正しくお礼を言ってばかりもいられないと思います。
援助したいことと援助してほしいことがかみあわなくて、気まずい思いをすることだってあるでしょう。
だからあんまり気負わずに、誰にも褒めてもらおうなんて思わずに、粛々と仕事して淡々と帰ってくるくらいのつもりでちょうどいいと思います。
それでも「ありがとう」のひとことでもかけてもらえたら超ラッキー、こちらが元気をもらえること請け合いですよ。

震災49日目

宮城県から戻ってきた同僚の報告の続きです。

被災地の役所や避難所のまとめ役さんたちに話を聞いてまわっても、家族を亡くした子供がいるのか、誰が世話しているのかといった情報がなかなか集まらないそうです。
大人だって、もともとどこに住んでいた人がどこに避難していてこれからどこへ行こうとしているのか、住民台帳も住宅地図のない状態で把握するのは大変でしょうに。
子供達は自分から「ここにいるよ!」「こんなことで困ってるよ!」と申し出てはくれません。
学校に通っている子たちは新学期が始まれば先生方が把握もされるのでしょうが、それより小さい子供達のことは誰が知っているのでしょうか。
知らない間に遠方の親戚や知人に預けられたりしている子供達はいないんでしょうか。慣れない土地にいきなり連れて来られた子供達のことは、その土地の大人達が気をつけてあげないことにはどうにもならないでしょう。
どうかひとりぼっちで途方にくれている子がいませんように。

震災48日目

昨日、避難所のみなさんの我慢強さに感心した、と書いた直ぐ後なんですが。
やはりそういった場所になじみきれなくて、自宅に帰ったり故郷を離れたりしている人たちも少なからずおられるようですね。
持病のある人は病院へ、重度障害の人は福祉避難所へ。
大変なのはそこまで重度でない発達障害の人や、食物アレルギーの人たちでしょうか。

こんな場合ではない、普段の生活や社会でも不便をかこちながら暮らしていた人たち。多数派の人たちに遠慮しながら、一緒に暮らすために少しだけ配慮して欲しいと、地道に居場所をつくってきた人たちです。

集団生活のルールからはみだしてしまうのだから、別のところに行ってもらえばいい、というのもひとつの解決でしょうけど。
ハンデのある人たちが居られない場所は、もともと元気な人たちにとっても住みにくい場所なのではないでしょうか。
急場しのぎは仕方ないとしても、ある程度の長丁場を覚悟するなら、みんなが過ごしやすい場所づくりも必要でしょう。そのために有効な意見を少数派のみなさんからもらえるんじゃないかと思います。

震災47日目

南三陸町と山元町に、それぞれお手伝いに行ってきた同僚の話を聞きました。
自治体の規模も被害状況もかなり違うとは言え、共通の感想は
「東北の人たちはとても静かで我慢強い!」
ということでした。
阪神淡路を知っているだけに
「避難所がとても静かでみなさん礼儀正しい。大変な環境でよく一ヶ月半も我慢してはる」
「交通事情も悪いのに、慣れないところから来ておたおたしてる車がいても誰も怒鳴ったりせえへん」
「関西人って、やっぱりおしゃべりでせっかちやってんな」
などと、妙に納得してしまったのでした。
東北のみなさんの美徳に感心することしきりなのですが、だからといっていつまでも我慢を強いていいわけがありません。
忍耐が過ぎて回復の遅れる人が増えないように、せめて隣町へ出かける交通手段だけでも早く確保できたらいいのに、などと気をもんでしまいます。

震災46日目

「自然エネルギー」という、よくわからない単語がニュースで使われていました。
はて、世の中に「不自然なエネルギー」なんてものがあるのかしらと疑問に思ってWikipediaで検索してみました。
どうやら、「再生可能エネルギー」から大規模水力発電を除外したものの俗称のようです。うむ、これなら意味がわかります。
「比較的短期間・自発的・定常的に再生される自然現象に由来し、極めて長期間にわたり枯渇しないエネルギー源」ということで、太陽の光と熱(それ由来の生物力)、地球の自転が起こす風、地熱などの総称なんですね。

「自然」という言葉を聞くと「安心」「安全」「清潔」なんてイメージを思い浮かべる人が多いのでしょうか。それって不思議な気がします。
このたびの地震も自然現象なわけで、私なら「自然」という言葉に「予測困難」「制御不可能」「人知を超えた複雑性」なんてイメージもつけ加えたいところです。
(自然界の産物がすべて安心安全だというなら、フグ毒やトリカブトは何なのよ、なんて話はちょっと脱線)

話を再生可能エネルギーによる発電というテーマに戻すと、これからの技術開発は、今回のように自然が恐るべき牙をむいたときに、きちんと対処する方策を織り込んでいかなければならないということでしょうか。

百年に一度の台風でも羽根を吹き飛ばされない風力発電装置。三百年に一度の火山噴火の煙に覆われても一定の能力を維持できる太陽光発電装置。五百年に一度の大地震や地殻変動に耐える地熱発電装置。
故障するな、能力を保てといわれても無理ならば、せめてその時に周囲の人たちや環境に悪影響を及ぼさない算段は必要ですよね。
巨大風車が突風にあおられて山を転がり落ちてくる、なんて事故には巻き込まれたくありませんから。

震災45日目

東北新幹線が東京から仙台まで復旧したそうです。

それで思い出しました。阪神淡路大震災の後、大阪から三ノ宮までJRが復旧した時のことです。
すぐ後の週末、三ノ宮駅前の歩道橋は黒山の人だかり。まだ外壁がひび割れたままだった百貨店や周辺のビルの倒壊したありさまを、たくさんの人が見学に来られていたようです。
電車さえ走れば、ほとんど被害のなかった大阪からわずか20分。
見られて減るもんじゃないし、用事があって出向いた人も多かったでしょうから、いちいち腹をたてたりもしませんでしたけど。

仙台市も駅周辺はかなり落ち着いてきたと聞きました。
市街からほんの少し東に向かえば、津波の被害を受けた地域です。
ビジネスや個人的な用事でかの地に出かけた人たちは、どんな感想を持ち帰って来られるのでしょうか。

震災44日目

被災地の復興には莫大なお金がかかります。
税金というかたちをとるにしろ、国が借金するにしろ、民間が寄付するにしろ、お金の出所はつまるところ、日本国民の稼ぎであることに違いはありません。
お金を稼ぐためには経済がきっちりまわらないといけないのですが、どんどん働いてばんばん消費すればなんて単純な話ではすみません。
今回、なるべく電力を消費しないで景気をよくしないといけないという離れ業が求められています。
それもすでにシミュレーションや机上の議論の段階ではありません。
関東では既にいかに節電しながら工場やオフィスを動かしていくのか、具体的な方策をみんなが必死で考えています。
計画停電を実施すれば、都市機能がうまく働かなくなって死亡事故すら起きるということを私達はすでに経験しました。発酵食品が生産できなくなり、関西ですらヨーグルトが品薄になっています。
途切れなく電力を供給しながら突然の停電を避ける為にどれだけのことができるか、東京都をはじめとする地域の人たちの動きを世界中が注目していると言ってもいいのではないでしょうか。

そして、今後原子力発電から手をひいていくつもりなら、関西人も本気で節電を考えなければならなくなるでしょう。
代替の発電手段といっても水力や火力にはこれ以上増やせないわけがあるのだし、風力その他の新しい手段が1年や2年で不足分を安定供給できるようになるとはとうてい思えませんから。
求めただけ電気が使える時代はもうおしまいなのだと、頭のスイッチを切り替えなければならないようです。

震災43日目

関西など遠方にまで避難してきているのは、どちらかというと被害の軽かった地域や原発からやや離れた地域の人たちが多いようです。
避難する、しないを自分の意志で決めることのできる人たち、一旦避難しても状況をみて帰ってくることが可能だと考えている人たち、ということでしょうか。
もちろん、これはこれでさまざまなメリットデメリットを天秤にかけたうえでのぎりぎりの判断だと思います。

もともと住んでいた地域を離れて避難することを考えられない人たちは、そういった判断もできない状況に追いつめられているということでしょう。
一度離れてしまえば二度と戻れないのではないかという不安。
不在の間に状況がどんどん変化してしまうのではないかという不安。
周囲の人たちと、これから先の運命が大きく分かれていってしまうのではないかという不安。
見通しのたたない先の保障のない状況では、いくら今いるところが大変でも、そこを離れてほっとするわけにもいかないのでしょう。

仮設住宅の立地ひとつとっても、もともとの居住地にどれくらい近ければいいのか、余震や津波に備えた安全性をどれだけ考慮するのかで判断がわかれることでしょう。
ばらばらになることを恐れる人たちのためには自治体とのきちんとしたパイプが必要なのでしょうが、たとえばネットなどを利用したとしても、すべての住民がそこいアクセスできるわけでもないでしょうね。

少なくとも自治体のほうに散り散りになった住民の行方を把握するシステムができあがるまでは、避難は円滑に進まないのだろうと思います。

震災42日目

宮城県に派遣されてきた知人の話も聞く機会がありました。
最初の地震からこれだけ日数がたって、現地の情報が山ほど報道されているにも関わらず、現場のなかでの情報交換は必ずしもうまくいっていないようです。
避難所で離乳食が入手できなくてこまっておられるお母さんがいるいっぽうで、役所には離乳食のストックが山積みになっている。そういったことがまだまだみられるそうです。
被災地の外にいる私たちはけっこう包括的な情報にアクセスできるのに、肝心の被災地では横のつながりや情報発信が滞っている。
これは、停電や情報インフラの復旧ができていない地域が置き去りにされているというのもあるでしょう。各被災地のニーズが現場のまとめ役、巡回する直接の支援者、その後方にいる統括担当者と、いくつもの中継点を経るなかでうまく伝達されていないこともあるかもしれません。
また、困っている人たち自身が何をどう求めていいのかわからなくなっていることもあるかもしれません。
こういう時には被災者の要望を拾い上げるのにも工夫がいりそうです。
「何かこまっていることはありませんか」「必要な物はありませんか」「特別に援助の必要そうな人はいませんか」
こんな漠然としたご用聞きでは、とっさに思いつくことのできない人も多いのではないでしょうか。
心身ともにくたくたになった人にも答えやすい、具体的な質問の仕方、要望の広い方といった工夫も必要みたいです。

震災41日目

岩手県の要請で支援に行ってきた同僚に話を聞きました。
津波の跡地はまだまだ何も片付いていないようにみえること。
海水に使った場所とそうでない場所はくっきりと見分けがついて、ほんのわずかな高低差で明暗が分かれたことがはっきりわかること。
いわゆる「心理面のサポート」については、被災された皆さんがまだまだ「特に必要ないです」……という雰囲気であったこと。
まだそれどころじゃない、もっと急ぎの課題がある、そんなことまだ言ってられないという感じ?
なので、「もしかして必要あればこちらにご連絡を」とビラまきしてくるのと、さりげなく個々のみなさんのようすをうかがうところまで、とのことでした。
それでも小さな子供達のことはやはり誰もが心配しているようで、阪神淡路の時に作成した小冊子が好評であったとのこと。
ほんのちょっとでも今までしてきた自分の仕事がお役にたったかと思うと、やっぱりうれしいです。
本当のお仕事はまだまだこれからみたいだけど。

震災40日目

被災地への慰問や支援活動についての報道は山ほどされています。
その内容について賛美する意見もあれば、批判する意見もたくさん聞かれます。
とくに支援する人が有名な個人であったり、名の通った企業であったりした場合に、直接関係のない立場の人が批判的なことを言っているのをちょくちょく目にしました。
もうひとつ気になったのは、諸外国からの援助について、ある国の行動を賛美するついでのように別の国を批判する声をちょくちょく聞いたことです。

支援の内容がどれくらい役に立ったかとか、うれしかったとか、あるいはちょっと的外れだったとか、そんなことを評価できるのは直接支援を受けた立場の人たちだけでしょう。
外野がその行動の是非をとやかく言うとか、支援の内容に優劣をつけるなんてことは僭越じゃないかと思います。
逆に言えば、支援してもらう立場の人たちが気兼ねなく意見や要望を声に出してくださったほうが、何が必要で何が不要なのかはっきりするというものでしょう。

被災地の外にいる私たちは、自分の尺度や感情を持ち出すより先に現場の人たちの話をしっかり聞くのがいいと思います。

震災39日目

失ったものが大きいだけ心には大きな穴があくけれど、それを埋めもどそうとするときにあふれてくるものは悲しみだけではないでしょう。
むしろ、その反動で強い怒りもわいてくるものだと思います。

自分の大切なものが理不尽にふみにじられたときに怒るのは自然なこと。
そのつぎには、怒りの感情を持って行く場所をさがさないわけにはいかなくなります。

「地震のばかやろー!」と叫んでも気持ちがおさまらなければ、もっと手ごたえのある相手をえらんでやっつけたくなるでしょう。

悪いやつ、原因をつくったやつがいるから腹が立つのではない。
腹が立つから、誰かを悪者にして、たたきのめしたくなるのです。

失敗をしでかした人、号令をかける立場にいながらみんなの納得できるような仕事をしていない人、見当違いな行動をとってしまった人。
状況が混乱していますから、そういう人をみつけて罵倒するのは大変かんたんなことです。

建設的な助言や意見交換、討論は大切です。
でも、ただ単に自分のうっぷんを晴らしたいだけの誹謗中傷、成果がなかなか現れないことを焦っての糾弾叱責は人間関係に毒気をまき散らします。

「今、あいつに何を言ってもしても誰も止めないしかばいだてもしない」みたいな感情が蔓延すれば、行きつく先は集団リンチです。

みんなが心の中の毒気を吐き出しきるまでに、どれだけの人を傷つれば気がすむことでしょうか。

震災38日目

お金をかければ元に戻せそうなもの
 鉄道
 道路
 上下水道
 ガス
 工場
 ・・・
 
お金の使いかたに工夫が必要そうなもの
 就業
 教育
 医療
 介護
 電気
 防災
 ・・・

お金では元に戻せないもの
 人命
 時間
 安心
 信頼
 平穏
 日常
 ・・・

震災37日目

ネットのあちこちでいろんな人がそれぞれいろんなことを書いていて、そのすべてを追っかけることはとうてい不可能です。
客観的な情報についてはなるべく必要最小限のものを、なるべく信頼のおける一次発信者から得ることにしています。
今後の行動の方向性や行政への注文、意見については、自分が比較的よく知っている分野に限って参考にさせていただいています。
個人的な感想は以前から交流のあった人たちのお話を聞くにとどめています。
これだけソースを絞っても、なおかつ私の手に余る、消化しきれないというのが現状です。

事態の全貌を今の時点でつかめている人がいったいいるのだろうか。ちょっと難しいんじゃないのか。
ほとんどの人がまだまだ暗闇の中にいて、手元の懐中電灯を頼りに状況を探っている段階なのではないかと感じています。

なので、今はその日その日に見聞きしたことをもとに、その日せいいっぱいの感想を書き連ねている状態です。
日付を表題にしているのはあとで読み返すつもりがあるからです。
何年か後にもう少し状況が整理されてきた時に、自分の考えがどこでどのように変化したか、しなかったか、そんなことを振り返りたいと思っています。

少なくとも、年月をおいて読み返した時に気分が悪くなるような文章は残したくないのですが、それも覚悟しておかなければならないかもしれません。

震災36日目

外国の人たちの防衛反応についての報道を見聞きしていると、これだけ情報の伝達方法が発達した時代であっても、それを正確に受けとめるのって難しいんだな、と思います。
同じ日本国内とはいえ、京都や奈良、ましてや沖縄への旅行や滞在なんて全然以前と状況はかわっていないのだし、西日本で生産された工業製品にまでガイガーカウンターを当てる意味があるの?と思うし。

ネットでわかる範囲での海外メディアの報道は別にまちがってはいないです。
被害が最もひどかった地域の映像、原発関係のニュース、東京都を中心とした政府の対応なんかにニュースバリューがあるのは当然なんですけど。
平和な西日本の日常がニュースにならないことで、視聴する側の感覚にはけっこうなずれが生じてしまうのでしょうね。

自分たちが耳目を集める立場になると、今まで外国のニュース報道を自分たちがどのように受け止めてきたかを反省するよい機会になりそうです。
貧困や戦争や内紛ばかりが報道される国でも平凡な日常を淡々と過ごしている人たちはいるはずなんですね。

震災35日目

今回の震災ではボランティアの出足が今ひとつにぶい、盛り上がりに欠ける印象です。とくに力仕事の担い手となる若い人たちが不足しているようです。
もちろん、被災地が広すぎて支援者が拡散してしまい、人手が追いつかないというのもあるでしょう。
でも、原発事故が若い人たちの熱意に冷や水を浴びせているのも事実だと思います。大学生や二十代の人たちが被災地に向かおうと考えても、放射能汚染の影響を過大に心配する親世代に引き留められているのではないでしょうか。
私などは放射能の影響など短期間の滞在では問題にならないと考えていますが、被災地ボランティアにはもっと重大なリスクがいくつも伴います。
たとえば粉塵やアスベストによる大気汚染。余震による被害。悲惨な事態を見聞きすることによる心的外傷などです。
ボランティアが美談ですまない、自らの安全と健康をある程度の危険にさらす行動であることに、みんなが気づき始めたのではないでしょうか。

阪神淡路がボランティア元年だとすれば、東日本大震災はボランティアの現実が検証された年として記憶されるかも知れませ.ん。

震災34日目

大災害が生じるたびに被災者の「心のケア」の重要性が叫ばれる時代になりました。
被災者ケアと対にして重要なのが「救助者ケア」です。
悲惨な現場に真っ先にかけつけて救助にあたる人たちもまた、大変な心理的ストレスを抱え込むことが知られています。
しかも、救助の専門職という立場上、現場では簡単に弱音を吐けず、自分や自分の家族よりも他の人達のことを優先して行動しなければならないのですから二重に大変です。

もちろん、外国から支援に来られたレスキュー隊や日本の消防士、海上保安庁、救急医療チームといった人たちにとっては自分たちのメンタルヘルスも活動の一部、日頃から準備怠りないことと思います。(そういったプロフェッショナルでさえ、今回ほどの被害は今まで見たことがない、と口をそろえておられますが)
また、行方不明者の捜索などで大変にお世話になった米国軍さんですが、彼らは現在進行形で激戦地を経験している組織の一部ですから、もっと深刻な戦争精神障害の治療経験も蓄積されていることでしょう。

東京電力の作業員の皆さんも想像を絶する悪条件と心理的プレッシャーのなかでお仕事されていると思います。少しでも明るい材料といえば、原発事故による死亡者はまだ発生していない、ということぐらいでしょうか。

いろいろ考えて、私が一番心配になったのは自衛隊員のみなさんのメンタルヘルスです。もともとこんなに大規模な災害での人命救助や復興作業が本職だと思って仕事をされてきた人たちではないでしょうし、なんといっても一番消耗するお仕事は行方不明者の捜索だと思います。
とくに生存者の数が極端に少ない現場で遺体の回収をしてまわる仕事ほど神経にこたえるものはないと思います。

防衛医大にもPTSDの研究者はおられるようなので、私なんかが心配しなくてもちゃんとフォローをしてくださるのでしょうけど、今回動員された人たちの人数が半端でないだけに、ぜひともきめこまかいアフターケアをお願いしたいところです。

震災33日目

被災した人々の精神面の健康度の総和は、ただ今、悪化の一途をたどっていると思われます。

火事場の馬鹿力的がんばりやアドレナリン全開のスクランブルモードはもう続きようがありません。
無我夢中で切り抜けてきた日々が過ぎ、嘘だろ夢だろと思っていたことが逃れようのない現実だと気づくほかなく、つい1ヶ月前まで思い描いていた未来がもうその通りには実現しないとわかってしまったこれからが、気持ちの上では最悪の時期になると思います。

地域の人同志の結束も少しずつ立場の違う人が少しずつ違う選択をすることで綻びていくことでしょう。
復興の手がかりをつかんだ人とそうでない人の間には埋め難い溝が生じるでしょう。

暗い予想ばかり書いていますが、これは個人の責任や特定の団体の落ち度ではなくて、大災害が起こるたびに繰り返されてきた流れなのだと思います。
そういう意味で、今ぐちゃぐちゃな気分になっている人も、それを見てどうしてあげたらいいかわからなくなっている人も、多少の心構えをもつしかないでしょう。

特に今回は災害じたいが今までになく深刻で、被害そのものがまだまだ現在進行形ですから、気持ちを立て直せる人たちのほうが少数派なのではないかと危惧されます。
泣きたくなるのも怒りっぽくなるのもイライラするのも愚痴っぽくなるのも当たり前、人をうらやむのも妬むのもやっかむのも自然、それくらいに考えなければやっていけない。
被災地の外にいる私達には、そんな感情をそのまま拝聴すること、うかつに批判したり激励したりしないことが望まれているのだとも思います。

頭を低くして辛抱しなければならない時期がもうしばらく続きそうです。

震災32日目

日本赤十字社に集まった義援金の配分方法が、そろそろ話題にのぼっているようです。
どんなに大きくなったパイでも有限であるからには、またそれを取り分ける人たちが多数にのぼれば、ひとりあたまの取り分は少なくなるし、分配のしかたにもいろいろと疑問がでてくるのは当然です。

阪神淡路の時もそうでしたが、もっとも優遇されるべきは当然、家屋が全壊したり近親者が亡くなったりした人たちでしょう。
ただ、そういった人たちが家を建て直したり生計をたてる元手にしたりするには、もらえる金額はあまりにも少ないでしょう。
一方、比較的被害の軽かった人たちのなかには、ほとんどもらえるもののない人もでてくることでしょう。あくまでも「比較」として被害が軽いだけで、その人たちの人生や生活にとってはけっこうな痛手だったはずなのですが。

そんなわけで、もらえる人ももらえない人もすっきりしないものが残るのが義援金の宿命だと私は思っています。
どこかで割り切らないとしかたない問題だし、せっかく寄付をしてくださった人たちの善意なのですが、これだけ被害者の数が多いと紛糾もさけられないでしょうね。

震災31日目

余震が続いています。
数日前の日記に「短期間で良いから西日本に来てぐっすり眠ってください」と書きました。
実際、子供達を短期間受け入れてほっとしてもらおう、ゆっくり休んでもらおう、という企画が西日本のあちこちで始まっているようです。
「思ったほどに応募が増えない。被災地に情報が行き渡っていないのかも」というご意見も新聞で読みましたが。

できれば子供達だけでなく、せめてお母さん、できればお父さんも一緒に受け入れていただける企画があるといいな、と思います。
地震の瞬間、家族と離れていた子供達はもう、二度とお母さんお父さんと離れたくないと感じているでしょう。
自分だけどこか知らない遠いところに行くのは不安に決まっています。
親御さんと一緒なればこそ、安心して遊べるものだと思います。

子連れ家族ご一行さま、1週間ご招待企画、どなたかよろしくお願いします。

震災30日目

宴会や遊興を自粛する動きに対し、被災していない地域では日常生活を普通に過ごすことのほうが経済を活性化させる、という反論があり、西日本の人たちの毎日はこの1ヶ月でずいぶん普通に戻ってきたように思います。

その一方で、いまだに「自粛するなと言われても以前のように飲み食いを楽しんだり娯楽にふけることができない」「楽しそうにしている人や冗談を言っている人を見聞きすると無性にいらいらして、『不謹慎だ!』となじりたくなってしまう」という人たちもかなりの割合で残っているようです。

被害のひどかった地域でも、ちょっとした慰めをみつけ、小さな喜びを確かめて笑顔をみせてくれる人たちはおられます。
少しだけ被害にあった人、ほとんど被害に会わなかった人たちのなかに、笑うこと楽しむことを忘れたような人たちが見受けられるのはどういうことでしょうか。

精神的な疲労はいろいろなかたちで溜まります。抑うつの初期サインは「笑えないこと」と「眠れないこと」です。この時期に何かしなくてはと気負っている人ほど、自分の疲労に気がつかないかもしれません。

みなさんの周囲に眉間に縦じわよせてむっつりしている人はいませんか。
「不謹慎!」と叱られたら腹がたつかもしれませんが、その人もとてもつらい状態なのかもしれません。
「お疲れためていませんか?」といたわってあげてください。

震災29日目

今回の地震と原発事故が起きるまでは、消極的原発反対論者でした。
電力需要の増大を見越して電源開発を続けることに疑問を持ち、企業主導の「原子力は安全」キャンペーンがリスクをきちんと述べないのはずるいと思っていました。

今の世の中、いったいどこからこんなにと不思議に思うほど原発に反対する人たちの声が盛り上がっています。でも、それに便乗して日本から原発をなくしちゃおう、という運動には、私は今は参加したくありません。

もちろん、私が直接知る限りの人たちはリスクとメリットをしっかり考えた上で活動されているのだと思います。
でも、世間で声をはりあげている人たちのなかには「放射能汚染をお祓いしたい」だけで感情的に動いている人もまじっているように思えてならないのです。

日本人って「不幸をもたらす何か」を「穢れ」ととらえ、それを「祓う」ことで自分は助かりたいという心性が働くようです。
こういう心性は気をつけないと、「不幸な目にあった人」の「穢れ」を伝染されないために、「追っ払う」という行動に容易に流れてしまいます。

「追っ払い」のいちばん嫌な結果が「結婚差別」と「住所地差別」です。

「あなたの子供が某県出身の人と結婚したいと言い出したらどうしますか」
「あなたの居住地域に某県出身の人たちの復興住宅ができると聞いたらどうしますか」
そんなふうに聞かれて返事をにごすような人たちとは一緒に動きたくない、というのが正直な気持ちです。

震災28日目

余震は大嫌いです。
地震なんて最初の1回だけでもたくさんなのに、追い打ちをかけるように何度も揺れて。
しばらく忘れかけたり気持ちをたてなおそうとしているときに不意打ちのように大揺れして。
そのたびに最初の1回を思い出して動揺してしまう。
片付けかけた仕事がまた逆戻り。
最悪です。

こうたびたび揺れが来ると、いつまでも緊張の持続を強いられてしまいます。
気持ちが緩められないまま長い時間我慢をつづけると、睡眠に悪影響を及ぼします。
ちゃんと眠れないと疲れがとれません。
余震の続く地域の人たちはもう、かなりの疲労をためておられるはずです。

もし可能ならば、ほんの数日でもいい、揺れていない西日本に来てぐっすり眠ってください。
住み慣れた土地や地域の人たちや仕事を捨てられないお気持ちはわかるつもりです。ほんの短い期間、休息をとったって罰はあたりません。
これからの長帳場をのりきるためにも、上手にお休みをとってください。

震災27日目

緊急時にはお呼びでないうちの職場にも、そろそろ援助スタッフ要請のアナウンスが流れてきています。
しかし、自家用車持ち込み、燃料費食費こっち持ちで最低1週間現地滞在という条件はなかなかに厳しいです。
一般のボランティアさんはこの上に本業を休む手はずも整えなければならないのですから、なかなか熱意だけでは動けないでしょうね。

若い人は時間と体力があっても金と自動車がない。
働き盛りは時間がない。年寄りには体力がない。

というわけで無責任な提案です。
現地で活動したがっている若い人たちのため、中高年のみなさんがスポンサーになってはいかがでしょうか。
息子が出かけるなら親父が車を貸す、お祖父ちゃんが装備を買う金をだす。
別に家族じゃなくても、地域で連絡をとりあってタッグを組めるんじゃなかろうか。

募金活動だけでは飽き足らない若者よ、
「僕が現地に赴くためにお金をください!」と呼びかける方法もありますよ。

震災26日目

地方自治体の被災地支援の財源はそこに住む人たちの税金です。
露骨に言えば、支援にお金を使った分、住人へのサービスに使うお金は減っている勘定になります。
言わば、住民の気持ちを代行して支援をしているわけで、そのぶんお金の使い方にはとても気をつかいます。
不公平になってはいけない、どこからもクレームがつかないように気を配らなければいけないとなると、思いきった采配ができず、誰にとっても中途半端なことになりかねません。
(それだけ気をつかってもやっぱり誰かしらには文句を言われる宿命なんですが)

それに比べれば、個人が募金するさき、支援を託すさきは自由に選択がききます。
私は、支援する個人が自分の趣味やひいきに走るのは全然かまわないと思っています。
お魚が好きな人なら漁港の復興を支援するもよし、歴史が好きな人なら重要文化財の修復に寄付するもよし。

私は生き物大好き人間なので、こちらへ寄付しようと思っています。

http://www.obihirozoo.jp/gazoo/newsyou/jazamimai.pdf

口座が例の銀行なのでしばらく様子を見ていたんだけど、もう大丈夫だよね。

震災25日目

年度が改まり、桜が咲くと新入学、新学期の季節です。

子供達の生活は家庭と学校の行き来で成り立っています。
失われた日常を取り戻すため、心の安心を得るためには、ともかくすべての子供達が学校へ行けるようになって欲しいです。

津波で流された学校もあれば、避難所に使われている学校もあるでしょうけど。
もともと通っていた学校をなくした子供達は、どこかの学校で受け入れていただきたい。
避難所になっている学校でも、避難されている方達となんとか折り合いをつけて、子供達が学び遊ぶ場を確保してあげてほしい。
そうして先生達を、なるべく早く他の仕事から開放してあげて、子供達のお世話に専念できるように配慮していただきたい。

大人たちになかなか余裕がない今だからこそ、そういった努力をしていただくことで、何十年も先の子供達の未来が変わってくる。
本気でそう思っています。

震災24日目

東日本大震災(正式名称に決まったそうですね)を、ついつい阪神淡路大震災との比較で考えてしまいます。
そのたびに事態の深刻さがひしひしと感じられて悩んでしまうのですが。

自衛隊や米軍の人たちがこれだけ大掛かりに捜索しても行方不明の人の数がなかなか減らない。
建物の下敷きになったのであれば、がれきを掘り起こして更地にしていけばいつかは見つかる。けれど、海に流されてしまった人たちはどんなに探しまわってもみつからないかもしれない。
みつからないことには、残された人たちの気持ちは宙ぶらりんのままで、おさめようがない。踏ん切りをつけて歩き出すことも難しくなるのではないか。
大切な人の顔を、このまま二度と見られないかもしれない。そんな思いをかかえた人たちにかけられる慰めのことばなんてない。
せめてその人たちのそばにいてくれる人がいることを祈るばかりです。

震災23日目

「神戸レインボーハウス」をご存知ですか。「あしなが育英会」http://www.ashinaga.org/が阪神淡路の震災遺児のために作った支援センターです。現在は災害に限らず、事故や病気、自死で親を亡くした子供達のために幅広い活動をしています。

地震の発生が日中であったこと、津波から避難できたかどうかで生死がくっきり別れたこと。
そういった震災の特徴から親を亡くした子供達の数は阪神淡路よりずっと多数にのぼると心配されています。まだまだ調査は始まったばかりですが、最終的にどれほどの人数になるか予測もつきません。
http://www.nikkei.com/life/news/article/g=96958A9C93819695E2E3E2E6948DE2E0E2E6E0E2E3E39191E2E2E2E2;da=96958A88889DE2E0E3EAEAE7E6E2E0E3E3E0E0E2E2EBE2E2E2E2E2E2

とある自治体では震災遺児のために寮制の小中学校をつくるという計画がもちあがっていますが、私はこれには反対です。

子供達に必要なのは自分のことを特別に大事にしてくれる大人です。今まで同じ学校や幼稚園で仲良くしてきた友達です。可能な限り生まれ育った地域で、幼い頃から慣れ親しんだ人たちのもとで育まれてこそ癒える傷もあるはずです。
親戚でも近所のひとでもいい、ふつうの家庭で生活できるように子供達を引き受けてくれる家族ぐるみ支援していくことが必要です。

そうして時々はレインボーハウスのようなところに集まり、同じ経験をした者同士でないとできない話をすればいい。
まだまだ先のことになるかもしれませんが、そのために活動をはじめている人たちはいるんです。

震災22日目

人々の不安が高まるとまことしやかなデマが流れます。

信じられやすい、ばらまかれやすいデマにも特徴があり、デマの内容によってそれを信じやすい、ばらまきやすい人たちも決まってくるようです。

あなたは今回、どんなデマ情報に接して、それを危うく信じそうになりましたか?
災厄が起きる以前から不安や不満に思っていたこと、嫌悪や恐怖を感じていたこと、理解し難いと悩んでいたこと。
そんな気持ちは騒動が起きると容易に増幅されます。

状況が刻一刻と変わっていく時に、情報が足りない、何が起こっているのかもっとよく知りたいと思うのは自然なことですが、気をつけないとこういう時に限って「正しい情報」ではなく「自分が信じたい情報」に反応してしまいがちです。

もともと食品の安全に敏感な人は「放射性物質汚染」のデマを読むと平静ではいられないでしょう。
もともと外国人に不信感を抱いている人は「外国人が略奪をはたらいた」と聞けば、ああやっぱり、と思いやすいでしょう。
もともと日本の国が最近物騒だ、犯罪が増えているに違いないと漠然と感じていた人は(それじたい事実ではないのですが)「強盗や性犯罪が増えている」と言われれば怖くてたまらなくなるでしょう。

残念ながら、自分に敵対する人を陥れるためにわざと誤情報をながす人だっているだろうと思います。
人づてに得られた情報の真偽を確かめるのも当然ですが、次に流す時に自分の主観がまじっていないか、注意が必要です。

まちがっても「私の考えは正しいはずだから、それを主張するのに都合よい情報は真偽があやふやでもかまわない」なんて思わないでくださいね。

震災21日目

三宅島の噴火による全島避難から11年ほどがたちました。今日、島東部に残されていたの居住禁止区域が条件付きで解除されたそうです。

http://mytown.asahi.com/tokyo/news.php?k_id=13000001104010001

島の人の避難が始まった頃、支援にあたった阪神淡路の被災体験者がこんなことを言ったそうです。
「家を失って避難した私達より、家があるのに避難しなければならない皆さんのほうがつらいでしょう」

災害で家屋が物理的に破壊されてしまえばどうしようもないけれど、今、目の前にある危険を避けるために家を捨てて逃げなければならない。
福島の人たちが直面している苦しみだと思います。

人が住まなくなれば家はあっという間に傷んでいきます。先行きのまったく見えない災厄のために住処を放棄しなければならない人たちのために、私達は何ができるでしょうか。

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