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暴力論1 はじめに

世の中には簡単に解決できない問題が山ほどあって、悩みが高じてくると「暴力」によって決着をつけようという考えが常に頭をもたげてきます。
原則論として暴力はよくないと考える人でも、「状況次第ではいたしかたない」とか、「相手が暴力に訴えてくる以上、反撃するほかはない」という人はいくらでもいるでしょう。

確かに人類は今まで、たいへん簡単に「目的を達成する手段としての暴力」を行使してきました。「先例が山ほどあるのだから構わないじゃないか」とか、「暴力の廃絶なんて机上の空論だ」という意見も山ほどあります。

結果として、現代の社会においても「手段としての暴力」はあふれかえっています。大は国家間の戦争から、小は子供への体罰まで。それらを正当化する主張もとてもたくさん見られます。

私が疑問に思うのは、「手段としての暴力」を容認する人たちが、その影響力や危険性についてどれだけきちんと考えておられるのかということです。
暴力に訴えるのは案外簡単ですが、その後始末をつけることにどれだけの労力がかかるか、始末のつけようのない弊害がどれだけ残っていくか、そんなことまでちゃんと考えてからみなさん決断を出しているのでしょうか、と。

相手が悪い時には暴力をふるってもかまわない、という意見もよくあります。しかし、暴力は実は、加害者側にも深刻な影響を残します。「悪いこととはいえ、やったもんがずる勝ち」だと思われがちですが、一方的に相手を圧倒しているはずの加害者も不利益をこうむっているのだということを、どれだけの人が気に留めているでしょうか。

私の主張したいことは、まず「暴力は加害者にとっても被害者にとっても割に合わない、問題解決の手段としては最低の選択である」ということです。
それがどれほどペイしないか、みんながもっと理解すれば世の中もっと住みやすくなるのに、と本気で考えています。

当たり前のことを書いているようですが、相手が誰であろうが、状況がどれほど困難であろうが、例外なく「ペイしない」と私は断言します。国家間の紛争も、死刑制度も、子供への体罰も、すべてです。
もちろん、ペイしないことに気づかずに暴力をふるい続ける人たちもたくさんいますから、被害者がなるべく増えない方法、被害が深刻にならない方法は考えなければなりません。だからといって、気がついていない加害者になら暴力をふるってもいいということにはなりません。

一方で、どんなに温和で平和主義な人でも、状況しだいでは「理不尽な暴力」をふるってしまいそうになることも事実です。人間である以上、そういった衝動を自覚してつきあっていかなければならない、そのためにも「理不尽な暴力」がどのようにして発生するのかについても考えていきたいと思います。

最終的には、以上のような話を理解しようとしない「わからんちん」な人が私たちの隣人だったとして、こちらが同じレベルに堕ちずにつきあっていくためにはどうすればよいか、そこまでたどりつけたらいいな、と思っています。

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